しゅうごうより皆さまへ
しゅうごうに込めた思い
子どもが産まれた時は神社、結婚するときは教会のチャペル、お墓参りやお葬式はお寺。
クリスマスのお祝い、お寺で除夜の鐘、神社での初詣・おみくじ・・・とハシゴ神仏。
聞けば、たいていの方が「無宗教」、「強いて言えば・・・仏教かな」などと仰られます。
机は机の神さま。お茶わんにはお茶わんの神さま。トイレにも、葉っぱにも・・・。
神さまや仏さまが、あちらにもこちらにも宿る国「日本」。
一神教を信ずる人からみれば、いわば八百万(やおろず)の神さまや仏さまを拝する日本人は、一見してとても奇異に感じられます。
日本人の大半がその節目節目に、あちこちで手を合わせる姿に、(物心つく前から一つの仏さまを信仰してきた私としても)とても不思議な感覚を抱いてきました。
一方、こうした日本人の信仰に対する根底には、日本古来の土着の神さまに対する信仰と、大陸から伝来した仏教が密接に結びついて融合、調和し、長い年月を経て育まれた「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という背景があります。
神社の本殿に仏像が祀られていたり、仏教寺院の境内に鳥居や神殿が構えられていたりするのは、その一例でもあります。
しかしながら、ある時から、神仏習合(しゅうごう)というものには、祈りや信じる対象をときどきによって変えられる”しなやかさ”があるのではないかと思い始めました。
「無常の世を平安、平穏に生き抜こうとする」日本人ならでは智慧と中庸が、習合(しゅうごう)にあると感じています。
この数年、コロナ禍で世の中のさまざまなことが変わりました。
集まりたくても集まれない。集まってもいけない。人と人が密であることが禁じられ、集まることすら後ろめたさを感じる世間。
幸い、私たちはいつでもどこでも情報にアクセスでき、直接人に会わずともオンラインを利用することで、仕事や生活など、必要なことはたいがいネットで事足りるようになりました。
ただ、私たち人は、一人では生きられないとても弱い生き物でもあります。
特に、孤独というものに対しては圧倒的に弱く、誰しもが恐れを覚えます。
当たり前だと思われていた「人々が集い合う」ということの大切さ、有難さが、以前にも増してより強く感じられる今。
人と人が出会い、集合(しゅうごう)する心身の充足と豊かさを感じられる場をつくっていきたい・・・という想い。
それらを「しゅうごう」という社名にこめています。
株式会社しゅうごう
代表取締役 西本 暢
たいせつにしていること
「一隅を照らす」
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「一隅を照らす」
現代の社会は、モノや情報にあふれています。
手元のスマホで検索すれば情報や口コミが瞬時に出て、ありとあらゆるコンテンツや美味しいものがある時代に生きているために、刺激にも慣れてしまいがちです。
斬新さ・真新しさ・珍しさや面白さを求めてひたすら消費し、ともすれば、自分が見たいものしか見ていなかったり、わかりやすいものにしか反応できなくなっていたりしないでしょうか。
もとい、私たちは、すぐ足元に人知れずあるものにこそ、大事な本質が隠れていると考えています。速い乗り物は移動にも便利ですが、景色も高速で移り変わり、足元にあるものはみえなくなります。
こんな忙しない時代だからこそなお、
立ち止まってもいい。
ゆっくりでもいい。
とも思っています。
足元にあるものを照らしつつ、あるものを、より良くしていく。
これは、しゅうごうのサービス創りにおいて、大切にしていることなのです。
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「当たり前の中の、とびっきり」
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「当たり前の中の、とびっきり」
疲れて果てて、お腹がペコペコの時。
「この一粒で必要最低限!」「栄養バッチリ。すべてまかなえる!」といったサプリメントをもらっても、人はちっとも嬉しくありませんし、心は動きません。
生理学的にはそのサプリで解決できたとしても、そんな時に人を満たすのは、人肌のこもった”あたたかいお味噌汁”と”ふっくらホカホカしたおにぎり”のようなものではないでしょうか。
たとえそれらの栄養価が低く、バランスがとれていなかったとしても、カラダとココロにじんわりしみわたっていくような多幸感、安心感、そういったものを一番に考えたいと思っています。
手間がかかっても、遠回りでも、人の心を温かく、やさしくさせるもの。
お客様、利用される方たちの表情を思い浮かべながら、 “あたり前の中のとびっきり” をいつも意識しながら、私たちは開発やサービスの提供をしています。
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「これで、いいのだ」
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「これで、いいのだ」
高校時代にインドで身ぐるみをはがされて無一文になり、(なぜか)投獄された後、しばらく路上生活を余儀なくされていた時期がありました。
そんな状況下でも、かの国の人々は、ことあるごとに「ノープロブレム」と朗らかに言うのです。
どうみても絶望的で厳しく、悲しく、切なく、辛い状況。理不尽極まりない現実と問題があるのに、それでも「ノープロブレム」と喝破するわけです。これは10代の私(代表)にとって強烈な原体験となり、今を導く動線となりました。
翻って、我が国が産んだ天才、バカボン。毎回とんでもないことが繰り広げられているに、いつも「これでいいのだ!」と締めくくるわけです。
〜バカボンのことば〜
わしはバカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱりこれでいいのだ
by バカボンのパパ(出典:天才バカボン (1))
「ノープロブレム」にせよ、「これでいいのだ」にせよ、口に出すと不思議と気持ちが楽になり、前向きな心持になりますが、この言葉の背景にある神髄はものごとから目を背けたり適当にやり過ごすということではありません。「(苦しみ哀しみ、不幸があっても)人は現実を受け入れて歩んでいかなければならない」ということを示唆しています。
生きていれば、苦しいことや悲しいことにたくさん直面します。特に、家族や縁ある仲間や友人との別れというのはとてもつらいわけですが、葬送・お弔いというものも、これから生きていくひとたちが、自らの心と折り合いをつけていく大切な工程でもあります。
自らがおかれた心象を咀嚼し、自らに内包していくことはとても大事な意味をもちますが、一連の儀式を通じて故人を偲び、みなと同じ場所、時間をかけて振り返り、現実を受け入れていくその過程には、残された人々が生きていくために培った智慧と深い意義があると考えています。
「これで、いいのだ」と自身にしっかり内包できる人を増やしていくことは、ひいては人々に生きる力と精神的な豊かさをもたらすことに繋がっていくことだと私たちは信じています。
この言葉の背景にある神髄は、ものごとから目を背けたり、適当にやり過ごすということでもなく、
「(苦しみ哀しみ、不幸があっても)人は現実を受け入れて歩んでいかなければならない」ということを示唆していると考えています。
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みなさまへ
お寺や神社は「社会のインフラ」として肩の荷を下ろしたり、学び、憩い、切磋琢磨する場であると考えています。
また、宗教的儀式・儀礼を執り行う場でもありますが、「生と死」というものが市場に最適化され、役割も効率的に細分化されてきた結果、儀式が形骸化し、寺社や仏教そのものが非日常的なものとなりつつあると感じています。
日本の家族も変化し、核家族や単身家族が大多数を占める現代社会。
付き合いの深い人間関係がない。子がいない。家を継ぐ子はいない。あるいは子がいても遠くに住んでいる。結婚しない..など、個々の事情を抱えています。これらの変容は、「身内だけで」「火葬のみで」・・・といったように、故人に対する弔い、葬送も小さく、簡素なものになっていることに関係しています。
一方、寺社には古き良き、社会に供する有形無形の資産があります。ただ、その大半が人知れず眠っており、有効活用する術がたくさんあります。
たとえば、小さな葬送・葬儀なら、宗教者・僧侶自らが主体となり、寺社という空間を使うことでも、人や社会に貢献できる可能性が多分にあります。本堂にご本尊を祀り、春夏秋冬、日々のお勤めを通じて宗教者・僧侶が掃き清め、長い年月欠かさず祈り続けてきた寺社の時間と空間には、大切な故人をお見送りするにふさわしい要素が元来備わっています。
加えて、宗教者・僧侶は、故人に引導を渡すことはもとより、人々の生老病死に向き合い、これからを心平らかに、よりよく生きていくためにご相伴するのが務めでもあり、彼らはその道のプロフェッショナルとして日々研鑽を積んでいる方々です。
今や都市圏では公営斎場や葬儀会館を利用することが当たり前になりましたが、それらは交通アクセスや利便性、効率性といったものとは比べられない価値、地域の資産でもあると考えています。
ちょっと近寄りづらい存在から、すぐそばにあって、ふとした時にいつも寄りたくなる、そんな地域の場。
寺社や宗教者が古(いにしえ)より果たしてきた本来の価値を、檀家・氏子のみならず地域や社会にも還元し、今を生きる人々に力を供するための基礎づくり。
効率や利便性の追求だけでなく、人にやさしく、人がより豊かになるための、IT・WEBテクノロジーの開発と実装。私たちは、持続可能で豊かな社会の実現のために、寺社と地域をつなぎ、寺社・宗教者と並走し、人や社会に必要とされる寺社の価値をていねいに掘り起こしていきます。
会社概要
商号 | 株式会社しゅうごう(syuu-go) |
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設立 | 2021年9月 |
代表 | 代表取締役社長 西本 暢 |
取締役 | 大西 克幸 / 堀下 剛司 |
住所 | 〒141-0001 東京都品川区北品川5-5-15 大崎ブライトコア4F SHIP |